「Singing Soul」 助川久美子/作曲
Anthony K./作詞

私は歌を歌って
生きています
私の声を待っている
名もなき言葉と
音があるから
たとえこの世に終わりが
やってきても
私は歌を歌い続けます
私の声を待っている
名もなき言葉と
音があるから
私は歌を
歌い続けます

できれば
悲しみの歌でなく
喜びの歌を歌いたい
それでも
枯れてゆく花たちや
それでも
流れてゆく星たちや
死んでゆく人たちが
いるのなら
祈りの歌を歌いましょう
死んでゆく人たちが
いるのなら
祈りの歌を
歌いましょう

できれば
悲しみの歌でなく
喜びの歌を歌いたい
それでも
海から魚が消え
それでも
空から小鳥が消え
この世に争いが
絶えぬなら
平和の歌を
歌いましょう
この世に争いが
絶えぬなら
平和の歌を
歌いましょう

私は歌を歌って
生きています
私の声を待っている
名もなき言葉と
音があるから
たとえこの世に終わりが
やってきても
私は歌を
歌い続けます
私の声を待っている
名もなき言葉と
音があるから
私は歌を
歌い続けます


自主制作版
「calm awareness」から
助川久美子
vocal,woodbass,acoustic guitar





助川久美子は、この曲を歌うことに最後まで抵抗を示した。2003年の初春には完成していたこの曲を録音することに、彼女が首を縦に振ったのは、季節が二つ巡った後だった。

彼女と私は、まったく違う個性であるため、その二人がコラボレーションすると、出来上がったものにある種の意外性が出て面白いのだが、時として激しい対立も生み出す。その対立は、たいていの場合、彼女の心のあがきとも思える感情となって現れる。

彼女が示した最初の抵抗は、本来意味など必要のない音に、言葉という意味が付与されることへの抵抗だった。その次は、それを自分の声で歌うことへの抵抗感、そして声という伝達媒体、表現手段を磨き、質を向上させることへの抵抗感と続いた。そんなとき私はいつも「メディアに徹しなさい」と言っている。

天から降ってくるメロディーをつかまえるようにして彼女の作曲があり、そのメロディーが日本語の言葉としてどのように響くかを聴き取るようにして私の作詞がある以上、二人のコラボレーションは、作っていると同時に作らされてもいる、能動的であると同時に受動的でもあるという性格のものであり、どこからともなく自分たちのもとへやってくる何かしら混沌としたものを、受け取りやすい形に変換して人に手渡すことで成り立っているはずである。

そこで、「これは自分たちに豊かに与えられたものである。だからそれを皆と分かち合おう」という気持ちになりさえすれば、すんなり手放すことができるはずだ。それを、「音に意味を付与するのは気が引ける」と思ったり、「この作品を自分の声で歌うのはふさわしくない」と思ったり、「自分の歌唱力は、このテーマを表現するまでにはまだ成熟していない」と思うなら、それは自分のエゴから作品を手放さず、自分の懐に囲い込もうとする試みに他ならない。

反対に、自分たちを、作品が世に出て行くための単なるパイプだと考えるなら、メディアに徹することができるだろうし、そうすれば、その作品の恩恵に、自分たちも浴することができる。現に彼女は、ライブでどんなにしくじろうが、演奏の出来が悪かろうが、作品の意図するところは確実に観客に伝わるのだという手ごたえを実感するたびに、自分はまたしても作品に助けられたと嘆息するのだった。反対に、「今度のパフォーマンスは大成功だった」と思うのは、決まって彼女がエゴを捨ててメディアに徹し、作品の持つ力に抵抗せずに身を委ねたときだった。

彼女がこの曲にひときわ抵抗を示したのは、詞の内容がかなり断定的でストレートな主張を含んでいたということもあるかもしれない。しかし、ご他聞に漏れずこの詞も、彼女の口ずさむメロディーが私には日本語としてそのように聴こえたというところから出発しているわけで、その点においては、彼女自身が私をして語らしめたとも言えるし、タイトルである「Singing Soul」(歌う魂)とは、まさに私から見た彼女のイメージにほかならない。そのことは、誰でもない彼女自身が、やがて身をもって実感することになる。

彼女がこの曲に対して示した抵抗感は、彼女が乗り越えるべき最後の抵抗感だろうと、私は直観していた。なぜなら、2003年の春から夏を過ぎ、秋を迎えようとするこの時期、甘えや依存心を断ち切り、真に自立したアーティストとしてソロで音楽活動を再スタートしようとする彼女に、次から次へと葛藤や障碍が立ちはだかり、それを一つ一つ乗り越えることによって、彼女は「Singing Soul」としてのアイデンティティを確立しようとしていたからである。

現にこの時期の彼女は、歌を歌って生きていくことの意義や目的をすっかり見失い、あれほど意欲を燃やしていたライブにもモチベーションを保てずにいたのである。そして皮肉なことに、彼女がそうした状態から脱却できたのは、この曲にもあるように、自分の声で歌われることを待っている、まだ人に知られることのない言葉や音の存在を、彼女が明確に意識できた、まさにその時だったのである。

作家がおのれの作品を手放すことができるなら、作家は自らが作り出したものによって救われるだろう。


文/Anthony K.